2011年10月12日水曜日

大分の伝説

36 :名無しさん@12周年:2011/10/11(火) 22:06:07.77 ID:LVRjK79y0
大分県の国東(くにさき)半島は、古くから宗教文化が形成され
ストーンサークルなども見つかっている。その近くに耶馬渓がある。

大分の耶馬溪は、その字から邪馬台国と関係あるのではと思われがちだが、
江戸時代に頼山陽が名づけたと言われている。

だが、もともとも山国(やまくに)と呼ばれていた場所で、頼山陽がそれに耶馬とあてたものだ。
耶馬溪を流れる山国川は、英彦山(ひこさん)から中津(なかつ)市へと注ぐ川で
英彦山はもとは「日子山」と書いた。

英彦山の近くには日田(ひた)市があるが、ここにおもしろい話がある。
神武天皇が東征へ出発したとされる日向だが、
今の宮崎を日向と名付けたのは、景行天皇が九州へ行った時と「古事記」に書いてある。

では本当の日向はどこか。
九州で、「日向」とつく地名の一覧
http://www.hisatuhime.com/1-himuka.html
宮崎県には、延岡と日向市の2ヶ所しかなく、九州北部に集中している。

「日向」とはその名の通り、日に向かった所。これらの中心に日がある
と考えると、それらを線で結ぶと大分県の日田が浮かび上がる。

日向は古くは「ヒムカ」と読んでいたが、卑弥呼を「ヒミカ」と読んで
これと結びつける説もある。

さらに日田は、宇佐・中津と隣接している。
http://travel.rakuten.co.jp/group/hojintiku/prefecture/images/Oita_x.gif

宇佐神宮は神道のルーツとも言われ、卑弥呼の墓説まであるところ。
そして中津だが、天孫が降臨した豊葦原(とよあしはら)の中国(なかつくに)こそ、
この豊前の中津ではないかという説もある。
大分の旧国名、豊を、卑弥呼の後継女王・トヨと関連させる人もいる。

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